2015年8月25日火曜日

能古島アイランドパークと福岡マラソン

福岡マラソンのコース紹介に、能古島のことが書いてありました。

(3) 生の松原・長垂海岸(11~13km付近)
ここのコースで、走りながら能古島を一望できると書いてあります。

能古島には、
去年2014年10月くらいに行ってみました。

博多駅から姪浜渡船場行のバスが出ています。
それに乗って、渡船場に行きます。
渡船場からは、能古島行きの船が定期的に出ているので、あまり待たずに乗ることが
できます。
10分くらいで島に到着。
もっと早く着きたい場合は、水上タクシーというのも出ていて、プラス数百円で行けます。
小呂島行きの船も出ていて、間違えないように注意が必要です。


島に着いたら、海の家っぽい建物がいっぱいあるので
まずはそこで自転車借りました。
そしたら、パンクしてました。。。
すぐに他のと替えてもらいました。


借りた自転車に乗って、アイランドパークを目指します。
坂が多いです。
目的地まで、5kmだったかな。


アイランドパーク到着!


秋なんでコスモス満開。


日差しが淡く、懐かしい感じです。


赤、紫、白のコスモス。


木陰で一休み。


ブロッコリみたいな木。


とにかく満開。


これでもか!というほど満開。


和風。


ビビットカラーの花も。


博多を一望。


転げたい。。。


ヤギだったかな??


動物もいました。


石の上でのんびりするヤギ。


波が太陽の光に照らされて、流氷みたいになってる。


レトロな。
オート三輪。


おもひで。
駄菓子売ってました。


百道が見えた。


船が通ってます。


ここから、狼煙かなんか揚げてたんかな。


烽火台の上から。


壇一雄文学碑。
アイランドパークを出て、500mくらい自転車こいだらあった。
ちょっと山奥にあった。
近くにイノシシ注意の看板があって、ちょっと焦った。


平日に行ったのですが、結構沢山の人が船に乗ってました。
まず、島に着いたらバス停があるので、それに載ってアイランドパークを目指す人が
多かったです。
私は、一人で気ままだったので、その辺うろうろして、自転車借りて、マイペースで
アイランドパークを目指しました。
晴れていて、温度もちょうどよかったので、自転車で潮風を浴びながら移動するのは
心地よかったです。

アイランドパークは、全体的に落ち着いた感じでした。
太陽の光が淡くて、色とりどりのコスモスを柔らかく照らしていました。
草が枯れかけの色をしていて冬に向かってる感じなのと、秋の澄んだ空。
春のように暖かい気温。
昔の映像の中に自分がいるみたいでノスタルジックな気分になりました。

福岡マラソンの次の日に、休みの人は行ってみるといいと思います。
この島から博多、百道を臨み、「あの道を昨日走ったんだなー」という感慨に
浸れるかも。。。




2015年8月22日土曜日

YOSHIKIとNOA「今を抱きしめて」

小学生のころ、元気が出るテレビというバラエティ番組を、毎週楽しみにしていました。

特に、ビートたけしが、る「こんな○○は嫌だ」という、○○の部分をテーマにして、面白いことを
言うコーナーが好きでした。

例:こんな指揮者は嫌だ → 「動きが危ない」

まっ、大喜利みたいなものです。
これが、シンプルで分かりやすく、当時子供だった私でも笑えました。

元気が出るテレビには、名物コーナーがたくさんありました。
「ダンス甲子園」
「早朝バズーカ」
「おかま競歩」
「ヘビメタコーナー」

X(今はX JAPAN)を初めてテレビで見たのは、この番組で、でした。
さびれた食堂や、さびれた商店街を活性化させるため、Xがヘビメタを歌い元気づけるという
コーナーがありました。
YOSHIKIは、当時、つんつんの角みたいなヘアスタイルで登場していて、TOSHIも頭髪が
逆立っていました。
今みたいな落ち着いた服装じゃなく、革のジャケットやら、民族衣装みたいのやら、アクセサリ
ジャラジャラしてて、メイクもばっちりしてました。
楽器まで持ち込んで、スラッシュメタルのような曲を演奏します。
そんな人たちが楽器ごと、いきなり食堂にやってきて演奏しながら、客に「食えー」、だの八百屋
の野菜に向かって、「ナス!」だの「ネギ!」だの、叫んでた記憶があります。
挙句の果ては、口から火を吹いたりまでしてました。


それから、数年後。
1993年。
私は高校1年生になり、音楽にも興味を持ち始め、自分の小遣い銭でCDを買ったり、借りたり
するようになっていました。
Xのことは、何となく「元気テレビ」に出ていたバンドという記憶は残っていました。
同級生の会話を耳にすると、「何かすごく長い曲を作るバンド」ということを知りました。
当時、私の知ってる曲は、だいたい3、4分の曲ばかりでした。
ですが、Xが作る曲は、だいたい5分から長くて10分以上らしいのです。
私は、とても興味をそそられました。
10分もある曲の構成とか、演奏がどういったものかが想像できなかったし、知ってみたいと思い
ました。
また、TOSHIの歌声を同時期にテレビでちょっと耳にしていたのもありました。
男なのに、何て甲高い声なんだ。。。という印象で、今まで聞いたことのない個性的な歌声
だったので、聴いてみようと思いました。

近所のGEOに行き、「BLUE BLOOD」のCDを借り、
早速、家のドデカホーンCD(SONYのCDラジカセ)で聴いたところ、アルバムのタイトル
チューンにやられてしまいました。
世の中にはこんなに速くてカッコいい曲があるんだ。と思いました。
また、ギターのソロの音が細かくて音がはっきりしていて、
 ギターソロが長くてもいいんだ。
 ギターソロが歌より目立っていいんだ。
とも思いました。
兎に角、自分の知らないことが、「BLUE BLOOD」のCDに入っている曲では行われていました。
激しい演奏なんだけど、ところどころ抒情的というか切なさがあります。
高校生の私でも、「これは、かなり計算して作られてるぞ!」と思いました。

そこから、XのCDをどんどん集めて聴くようになりました。
聴けば聴くほど、もっと沢山、いろんな曲を聴きたいと思いました。
ですが、YOSHIKIが完ぺきを求めるため、作るのに時間がかかるようで、、、出ている曲が
とても少なく、沢山聞きたくても、CD数枚しか集まりません。


メタルテープに録ったXの曲を、中国製のウオークマン「KIKUZOU」にセットして、通学する
毎日。。。。
新しい曲が聴きたい。。。。
そんなXの曲に渇望しているとき、X以外でYOSHIKIが曲を作ってリリースしました。


NOA「今を抱きしめて

Xのジャケットとは、180°異なる

デュエット曲なので、カラオケは、男バージョンと女バージョンがある


この曲はドラマの主題歌でした。
クレジットされている、NOAとは、そのドラマに主演している
仙道敦子
吉田栄作
からなるデュオ
ただ、二人の名前は、このCDのジャケットのどこにも出てきません。
YOSHIKIとNOAがあるだけ。
あくまで、YOSHIKIが前面に出ていて、YOSHIKIの作品!という印象です。
ちなみに、作詞は白鳥瞳という人です。
Xファンの人はご存知だと思いますが、これはYOSHIKIが作詞する際のペンネームです。
曲の雰囲気によってペンネームを使い分けているようです。
※はじめは、彼女に作詞させてるとか、女流作家に外注してるとか勝手に想像してました。
  インターネットがなかったので、すぐに調べることもできず、想像は膨らむばかりでした。

曲は、開始のピアノから、「Endless Rain」を彷彿とさせられます。
ゆっくりしたテンポの曲です。
曲の要所要所でも、YOSHIKI節というか、Xで聴いたことあるぞ?というフレーズが
入ってきます。
ピアノ伴奏をバックに、男女が代わる代わる歌唱する構成ですが、このままでは終わらず、
後半からドラムが入ってきます。
YOSHIKIがバラードの時に叩くような感じのドラム音です。
最後は、仙道敦子吉田栄作が一緒に歌って、大団円。

ご丁寧に、カラオケバージョンは、
・男練習用(仙道敦子のみ歌ってる)
・女練習用(吉田栄作のみ歌ってる)
・インストルメンタル
の3パターンが入ってます。

てか、これ以後、他に曲を提供したり、メンバーもユニットをソロやユニットを組むことが
多く、Xの新しい曲はなかなか出なくて、寂しい思いをしていました。

2015年8月19日水曜日

猿岩石が涙した 爆風スランプ「旅人よ〜The Longest Journer〜」

大学1年くらいの時、毎週土曜日の夕方に電波少年という番組がやってました。
その番組で、ユーラシア大陸横断ヒッチハイクという企画がありました。

ヒッチハイクで、ユーラシア大陸を横切って、ロンドンまで行くという企画です。
当時無名だった、お笑いコンビ猿岩石有吉弘行森脇和成)が挑戦していました。
私の通っていた大学の先生も観ていて、
「最近、面白い番組があってね。芸人の二人が貧乏旅行してるんだよー。」と授業中に
教えてくれるのでした。
それで、僕も観てました。

内容はよく覚えていないのですが、途中で資金が尽きて、旅を中断してバイトしたり、
移動手段が何たって、ヒッチハイクなので載せてくれる車に出会うまで何時間も掛かったり、、、
発展途上国の危険な場所にも行ったり、、、、
とにかく過酷な旅だったと、おぼろげに覚えています。
この曲が登場したのは、ヒッチハイクの旅も佳境に入ったあたり。
猿岩石がインドに居た時です。


爆風スランプ「旅人よ〜The Longest Journer〜」
靴跡が、旅感を出してます。

4人でパチリ。
日本から、爆風スランプが応援歌を携えて、猿岩石を激励に行きました。
その応援歌が、この曲です。
テレビではアンプラグドバージョンが演奏されました。


曲はすごくストレートというかシンプルです。
ドラムのフィルインが、疾走感溢れるシンプルなタム回しでかっこいいです。
ベースもブリブリいってて、更にいい。
このCDには、テレビで放送されたアンプラグドバージョンも入ってます。
曲を演奏する前の、爆風スランプと、猿岩石のやり取り。
そして、演奏後、これからも旅を続ける猿岩石へ、サンプラザ中野からの激励の声も入って
ます。

私は、爆風スランプが歌ってる最中に、感動のあまり、猿岩石が泣いていると記憶していまし
たが、改めて、youtubeの動画を観てみると、泣くどころか真黒な瞳で一点を見つめた猿岩石
の二人が、泣きもせず聴き入っているではないですか。。。
曲が終わった後に泣いていたみたいです。
何だか、自分が感動するように記憶をすり替えちゃってました。
でも、動画を観たあとは、泣くよりも、聴き入っている姿のほうが感動してしまいました。


あと、シングルCDの裏には、4人の集合写真が。(後ろにはたくさんのインド人)
猿岩石がなんで柔道着を着ているかは覚えてないです。
あと、顔がえらく精悍に見えます。
過酷な旅を乗り越えてきたからでしょうか。
これで、後ろに菩提樹とかあったら、何だかとても神々しい絵になってたと思います。




この企画が大当たりして、番組の視聴率も鰻登り。
猿岩石の人気は、ゴールへの向かうほど上昇していきました。
日本に帰ってきたら、CD出してバカ売れするは、旅行記も売れるわで、ちょっとした流行に
なってました。
バイト先の女の子もファンになってました。

でも、何となく、猿岩石がこの後、すぐいなくなるのではないかという予感がしていました。
きっと、日本の全人口の1/3は思っていたと思います。
それだけ、売れた方が急激でしたし、そして、本来の芸人で売れたわけじゃなかったし、、、

ひと段落すると、猿岩石は、しばらくテレビから居なくなりました。

たまにテレビに出ても、あの人は今的なノリで、一発屋としていじられていました。
 ※まだ、当時は、今みたいに一発屋という過去を自称して持ちギャグにできる時代でも
  なかったというのもあったと思います。
  たまにテレビに出たことを切っ掛けに、出続けるようになることもありませんでした。

このまま、いなくなってしまうのかなとも思ってました。

でも、十数年後に、有吉弘行がこれだけ大物になるとは、全人口で100人も想像できなかった
と思います。












2015年8月15日土曜日

橘いずみ「永遠のパズル」

ハードオフのワゴンで発見しました。
まず、シングルCDが、今時代のパソコンで聴けるのか心配でしたが、杞憂でした。
ちゃんと聴けます!
ちなみに使用パソコンのOSはwindows8.1です。

ここから、本題です。


橘いずみ「永遠のパズル

空を仰ぐ

白いスーツまぶしい


このシングルが出たのが1994年4月で、当時高校2年生でした。
橘いずみの存在は、その一年前から知っていました。
部活の先輩がカセットテープに録音した音源を、ラジカセを使って、道場で流していたから
です。
空手部だったので、部室ではなく、道場でした。
空手道場に鳴り響く、「失格」、「バニラ」、「サルの歌」・・・・・
その音の渦の中で、ひたすら型や組手の自主練習に取り組む部員たち・・・・・
ほとばしる汗の中、先輩から後輩への怒号が降り注ぐ。
曲は流れ続ける。
毎回、絞り出すかのような強いメッセージ性を持つ語りの部分で、一瞬「ピタっ」と皆の
動作が止まる・・・・・

音楽を聴く耳も、空手の腕も未熟な、当時の私をして、こう思わせたものです。
「このシチュエーションで、聴く曲じゃない」


「永遠のパズル」は、最初に聴いたとき、「失格」、「バニラ」、「サルの歌」に比較すると、
若干ポップだし少し軽量化された感じの印象を受けました。
ドラマとのタイアップだったから、そのあたりもあったのでしょうか。

まず、最初のイントロが好きです。
なんか切ないんだけど、明く前に向ってく感じ。
歌詞も好きです。

「自分までだまし 首尾よく生きて何になる」
本当にそうだと思いました。

「他人の気持ちなど簡単に理解できない」
本当にそうだと思いました。

何か、散々悩んだ挙句に、達観したような、悟ったかのような歌詞だという印象を受けました。
練習中に聴いた「失格」、「バニラ」、「サルの歌」が激しかった分、明るくて少し軽くなった
この曲が、余計にそういう印象を与えます。
語りのところで「とにかく負けないで」という「部分があり、悩みに対して具体的な解決方法は
提示されていません。
ですが、共感できる歌詞の内容や、その先にいいことがあると歌っているので、これでいいんだ
と思いました。

あと、カラオケで歌うと、語りの部分で皆が、着いていけているか、引いてないかがいつも気に
なります。









ZIGGY「Jealousy〜ジェラシー〜」

家に一番近いハードオフには、ワゴンの中にジャンクと称して、沢山のシングルCDが縦に
ぎちぎちに突っ込まれて、一枚100円くらいで売られています。
これぞと思った一枚を、ぎちぎちにセットされた中から引き抜くのは、なかなかに大変な
作業です。
前の日に爪切り過ぎて、深爪の状態だと、至難の業です。
前置きはいいとして、、、、、
その中から、懐かしの品を見つけました。


ZIGGY「Jealousy〜ジェラシー〜

表面です。
物憂げな女性。
レジに出した時、「1080円かも・・・」と心配になったのですが、108円でした。
右上の値札、なんなの、一体^^^;

裏です。
このころは、2人でした。

まず、一番最初に懐かしいと思ったのが、
表面に「カメリアダイアモンド TVCF イメージソング」
と記されている部分です。
確かに、1995年3月あたりテレビで流れていました。
当時、高校生で夜更かししていたら、、この曲とともにダイアモンドのCMが。
(だいたい、当時は貴金属のCMが夜23時代から夜中までやっていた。
 タイアップの曲は、結構ヒットしてた。)
「ZIGGYって、ロックンロールバンドだけど、こんな大人っぽいオシャレな曲もやるんだー。」
ってのが最初の感想です。

高校2年のときに、バンドやってるクラスメートがZIGGYのバンドスコア持って来て
「いいよ、このバンド、いいよ」と勧めるので、半信半疑で、近所のGEOに行き、
「YELLOW POP」というアルバムをレンタルしました。
早速、家のドデカホーンCD(SONYのCDラジカセ)で聴いたところ、最初の1曲から、いいなと
思いました。
タイトル通りPOPなんだけど、ギターはしっかりロックしていて骨太だし、歌が何よりうまい。
ということで、お気に入りのバンドになりました。

ZIGGYは何回もメンバーチェンジしていて、このシングルの時は、2人構成。

・森重 樹一(Vocal)
・戸城 憲夫(Bass)

あとはプロフェッショナルのミュージシャンがサポート。
どおりで、初期の4人構成の時と音の感じが違いました。。
やっぱり初期の4人構成

・森重 樹一(Vocal)
・戸城 憲夫(Bass)
・松尾 宗仁(Guitar)
・大山 正篤(Drum)

が一番最高ですが、この曲に関していえば、ギターの音はこれで正しいと思います。
歌詞が魅惑的な感じなので、シャープなギターの音が合っています。

あと、カラオケで歌うと難しいです。
最初、ギターの「ジャジャジャッ、ジャジャジャッ、」という普通の曲と違うリズムでスタートし、
そのあと、一息おいて、タイミング合わせて「ジェ~ラシ~」と歌いださないといけないため、
油断してると出遅れます。
(丁度良く、ドリンクが運ばれてきたときとか、注意です。)
サビに向かって、畳みかけるようなリズムになり、普段8ビートの歌しか歌わない人は、
手こずると思います。

曲もいいけど、やっぱりファッションセンスが良かったです。
やっぱし、ロックなんだから髪も長くて、服もだらりとした感じで、ルーズなほうが合ってます。
赤だの黒だのいろんな色を配した衣装や、独特のヘアスタイルがかっこよかったです。
何より、ロックバンドなのに、メンバー表記が日本語の漢字名前というのがかっこいいです。
ローマ字でnorioだと、ちょっと、、、です。
日本語の名前だと、何かしっかりこの名前でやってる感じが出ていいです。




名島海岸をランニング

名島海岸は、よくランニングで走らせていただいております。
丁寧語で言うくらい、ここにはお世話になっております。
大学生くらいの時は、しんどいことあったり、悩みがあると、ここの海岸っぺりに来て、
一日黄昏たり、本読んだりして、癒しをいただいておりました。
大人になってからは、散歩やランニングスポットとして利用させていただいております。
ここの近くには、沢山の歴史的な史跡や、名島神社なんかがあり、観光にもいいんではないか
と思います。
誰か福岡に観光に来たら、ここに連れていきたいです。

ここの海岸から、正面には、かもめ大橋を臨むことが出来ます。
左手には、臨海3Rステーション、右手には、みなと100年公園。

帆柱石、緑石なんかの石関係のナイスな史跡たちもいます。
名島神社への急な石段は、ゆっくり上って足腰の鍛錬になります。

7月の夜、ランニングしたときの写真です。
夜はこんな感じで、向こう岸のアイランドシティの灯りが水面を照らして、オサレです。

2014年7月くらい 夜

10月くらいの秋になると、いい感じで風も吹いて、いつまでも佇んでいたくなる。
とにかく、秋の海もいいですね。
秋の空は澄んでいて、海とよくマッチしています。
涼秋を誘う雰囲気。
眠気を誘うけだるい感じもあるうえに、何だか切ない。

2014年10月くらい 海岸への入り口スロープから臨む。

荘厳な石碑の真ん中にある丸い石2つが可愛い。

ゆるやかな波
こっからは、6月くらいですね。

ちょっとお空の気分がななめかな。

あの石の突端まで、競争だ!

海が澄んでいてきれいです。

正面に見えるのは、かもめ大橋

2015年8月10日月曜日

Oracle VM VirtualBoxを用いたOracle RealApplicationClusters(RAC)12cRelease1環境の構築(DBソフトウエアインストール、DB作成編)


仕事でよくデータベースの設計・構築を行ってます。
以下のマニュアルを参考に、練習を兼ねて自宅パソコンにRAC環境を構築してみました。

「Oracle VM VirtualBox を用いた Oracle Real Application Clusters (RAC) 12c Release 1 環境の構築」
http://www.oracle.com/technetwork/jp/database/enterprise-edition/documentation/raconvbox-db12101onol6u4-2080481-ja.pdf

前回は、「Oracle VM VirtualBoxを用いたOracle RealApplicationClusters(RAC)12cRelease1環境の構築(GridInfrastractureをインストール編)」で、GridInfrastractureを入れました。
ただ、前回の注意点として、「13. ASM ディスク・グループの作成 127P」で投票ディスクのディスク
グループを設定しています。
ディスクグループをDATAとしていますが、DATAはこのあと、データ領域としても使用しています。
ここでは、投票ディスク専用のディスクグループとしてCRSを設定したほうがよいでしょう。
普通のデータと投票ディスクが同じディスクグループだと、ディスクグループを再作成することが
困難になります。
グリッドからの再インストールになってしまいます。
また、作成するディスクはすべて冗長性は「外部」にしました。
これは、検証環境なので好みの問題かもしれませんので、それぞれの環境に合わせてください。

投票ディスク専用のディスクグループCRSを作成

今回は、DBソフトウエアをインストールし、DB作成をします。
ほとんど公開されている手順通りにできます。
なので、スクリーンショットは割愛しています。
違うところだけを載せます。

「7.2. ASMCA を利用した新規 ASM ディスク・グループの作成  148P」でデータ用のASMディスク
作成を行います。
「DATA」というディスクグループを作成し、そこをデータ領域とするため作成します。

画像には、DATAはないけど、これから作るとこです。

DBCAでデータベースを作成しますが、メモリ設定のところが手順にないです。
私は、500MByteの自動メモリ管理にしました。



何とか作成はできましたが、公開されている手順以外にもやることがあったり、そのままやると
うまくいかなかったりで、なかなか時間がかかりました。

今気づいたのは、「8.1 環境変数の設定」のあとに以下の作業をしないと、以下のメッセージが
出力されてGUIでoracle、gridユーザでログインできなくなります。

「設定サーバに問題があるようです
(/usr/libexec/gconf-sanity-check2 がステータス 256 で終了しました)」

・oracleユーザ
  mkdir /home/oracle/tmp
・gridユーザ
  mkdir /home/grid/tmp

環境設定ファイルに、export TEMP=$HOME/tmpって設定しているからですね。。。
ちなみに、上記設定が無くても、CUIならログインできます。


2015年8月9日日曜日

福岡マラソン2015 コースの関門時間について調べてみました。

福岡マラソンに当選しました。
実は、福岡・糸島市民枠で落選していたのですが、
それの未入金当選者がいたそうで、追加抽選が行われ、当選していました。
当選したのに、お金払わなくてエントリー無効になった人もいるんですね。

ある日、そんなこと知らずに、メールを見てたら、当選してたのでびっくりです。
どうせ、落選のメールが間違えて送られてきたのかなと思ってたくらいなので。
練習をまともにしていませんでしたが、せっかく受かったので、1万円を入金し、
エントリーしました。
※チャリティー枠で10万円払ってでも出場したい人がいる大会です。
 なので、普通に当選した場合、出ない理由は取りあえずありません。

早速、コースの関門時間について調べてみました。
以下の表の通り、関門はゴールを含めると10個あります。
私は、マラソンめちゃ遅いので、完走することだけを考えてキロ8分でどうなるか
考えました。




キロ8分で走った場合の関門制限との関係

スタートは天神で、まずは最初の百道中央公園まで、5.3kmあります。
それを、スタート8:20から9:25の間、つまり1時間5分で走り抜けないといけません。

キロ8分だと最初の関門は42分で通過できます。
意外に余裕ですね。
そのあとの関門も、このペースなら割と5分以上残して通過できるようです。
 ※「次の関門に行くまでに何分かけてよいか」と「キロ8分」の時間を比較して、
  キロ8分のほうが小さければ、関門通過できるとしています。

ちなみにキロ9分だとどうなる、計算したら、これは際どいですが、何とか各関門を
通過できます。
すごいですね。
キロ9分とか1時間6kmちょいくらいのペースです。
これだと、ランニングじゃなくて、早歩きだよ、とか言われそうです。
さすがに、調子にのって、キロ10分で計算したところ、最初の関門でアウトでした。

キロ8分でも意外にバカにできないのが42.195kmです。
一度、走ったことがありますが、その時は最初の20kmこそキロ6分で走れましたが、
後半は、キロ9,10分になってしまい、結果、平均キロ8分でも走れてなかったのでは。。。