2017年9月17日日曜日

西村賢太の私小説のおススメ

西村賢太の私小説をよく読みます。
発表されてる作品が、1作品を除き私小説という作家です。
芥川賞を獲ってます。
ちょうど風俗に行こうとしたとき、受賞の電話を貰ったという逸話があります。
藤沢清造という作家に、異常なほど傾倒していて、本人に許可なく(死んでるから許可取れないけど。)没後弟子ということを自分で決めてしまっています。
能登の七尾のにある清造の菩提寺にある墓を譲り受けたり。
清造の墓の横に自分の墓を建てたり。
ちょっと執着がすごいですが、こんなに好きなものがあるって、とても羨ましいです。
清造にはまったきっかけが、自分の惨めな人生と、清造がいろいろと被るからというものらしいです。
芥川賞を獲り、女性にもてるようになった、今の西村先生は、もう惨めではないと思います。

その小説ですが、大きく分けて、以下のような傾向があります。
・若いころの惨めなエピソード
・秋恵もの
・清造がらみ
・芥川賞受賞後の最近のこと

私は、若いころの惨めだったころのエピソードを楽しく読んでます。
次に清造がらみの話。
秋恵ものは、ちょっとマンネリがあり、好きな話とそうでない話がありますね。
最近の話は、ちょっと文章の密度が薄くなって、マイルドな感じです。

読んでる中からレビューを。

苦役列車 ★



インターネットもスマートフォンも、ガラケーすら登場しない80年代の頃のお話です。
主人公は一人暮らしですが、家に電話すら引いてません。
今の人から見ると、いったいどうやって連絡とってるんだろう?って感じですね。
戦後直後とか、戦前でもないのに、中学しか出ていません。
高校に行かなかった特別な理由や、別にやりたいことがあったとかそういう描写はありません。
ちょっと想像できないですね。
当然、仕事といえば日雇いくらいしかないので、そこで働いている日常の場面から、お話がスタートします。

日雇いの仕事に通う主人公の日常が描かれています。
大事件が起こることもないです。
久々にできた職場での友人との付き合い、その友人とのちょっとしたすれ違いから生じる負の感情や、その友人の
彼女が不細工だったのを見て優越感に浸るところ。など、時代や生活環境は違うけど、誰にでもちょっと当てはまる
感情が描写されていると思います。

文体がもっさりというか、殊更詳細な部分もあったりで、色んなところが昭和っぽく古臭い感じがします。
読んでると、舞台が80年代なのかどうかも一瞬怪しくなるのですが、友人に、スタローンの「コブラ」という映画を観に行こうと
誘っている場面があるので、なんとか戻ってくることができました。
でも、全然とっつきにくいわけじゃなく、むしろその古臭さがたまらなくいいです。
主人公は昭和の文学青年みたいに古臭い話し方なのですが、友人やその他の人は現代の話し方をしていて、会話は成立して
いるのだけど、読んでると違和感があったりします。
まるで、主人公だけ、石ころ帽子をかぶらされて、ぽつんとしてる感じです。
それが、何だか微笑ましいというか、純真な感じもします。

無銭横町 


風俗嬢に金をだまし取られたり、秋恵の頭をスリッパではたいてた時期に比べると、
だいぶ軽くなったなという感じです。
ハイライトがマイルドセブンになった感じです。
本のタイトルになってる無銭横丁だけは、昔の感じが戻った風でした。
初期のころの密度が濃くて改行が少ない文章がまた読みたいです。
でも、軽くなった分、読みやすくなった部分もあります。

主人公が、兎に角ネガティブで、田中英光に関することだけ前向きなので、アンバランスな人物になってます。
でも、人生でこれだけ楽しめるものを見つけることが出来たことは、幸せなことだし、うらやましくもあります。
この本では登場しないけど、のちに藤澤清造の本に出会い、小説家を目指すきっかけを得るのだから、どんな
楽しみもばかにできません。

形影相弔・歪んだ忌日  


難しい漢字やら、言い回しやらに独特な感じはありますが、この文体が好きな人は一定数いて、はまってる人もいると思います。
昭和の文学青年みたいな古臭いセリフを吐く主人公に対して、同棲している女が、そのことを気にせず今風の口調で話しています。
主人公と女との、言い合いの喧嘩のときなど、その落差のせいで、主人公が時代錯誤な昭和初期の文学の人みたいなキャラクターっぽく見えてきて、
非常に滑稽で可笑しい。
時代に取り残された人みたいになっている。
確信犯で、そういうキャラ設定にしているのかどうかは分からないが、結果的に面白いのだから、成功していると思います。

短編6編が収録されています。
芥川賞受賞後の身辺の変化について書かれた話が印象的でした。
受賞後、音信不通の母親から突然手紙が届いて嫌な気分になった話や、自身が有名になったことで、清造忌に多数のマスコミや
文学かぶれがやってきてやりにくなったといった話。

受賞前やヤングの頃とは違う、別の感情、悩みが生まれてきたという感じです。
新しいステージに進んだのだろうと思いました。


棺に跨がる 


4編全て、同棲してた女性との痴話です。
描き割りなんて、全部似たような感じです。
女との冷え切った感情が、どうすればまた温もりを取り戻すのか、
自らの過ちを後悔しつつも、何をやっても振り向いてくれない女にプライドを気付つけられ、イラつきながらも、
彼女の機嫌を取る貫太の姿が、男の性をよく現してる。
男は、女に対して、未練たらたらに書かれてますが、身につまされる部分もあります。
だから、似たような話でも、とても面白いです。

短編4つですが、続き物のようです。
1,2,3と話が進むたびに、状況が悪化していきます。

蠕動で渉れ、汚泥の川を 
時系列的には苦役列車で、イカだのタコだのの冷凍の塊を運んできたころの一年前くらいの話になります。

イメージ 1

なんと、洋食屋でコックとか出前と言った今までとは趣向の違うバイトをしています。
相変わらずの書き割り、話の流れは、これまで読んできた方にとって安心して読むことが出来るものになっています。
そして、今回は初期のような濃ゆい目の文章と表現が多いので、その点でも満足出来ると思います。
ちょっと、原点回帰した感じですね。

話は、幸運にも自芳軒という洋食屋のバイトにありつけた初日から始まります。
最初は新しいバイトに胸を躍らせる貫太ですが、やはり徐々に仕事内容への不満や同僚への不満が噴出し、挙句には自ら自爆と言う道を選んで、続行不可能な形で全てをうっちゃって逃亡するかのように終わらせてしまいます。
この辺りの流れは毎回同じなのですが、やはり最初から「来るぞ、来るぞ」と期待させられてしまいます。
始めは口中のみで呪詛っていた貫太が、自分の身勝手な願いが叶わないと分かると得意の開き直りで、啖呵を切るところは一種のカタルシスですね。
起承転結で言うところの結になるのでしょうか。
全ては、ここに至るまでの設定と物語と人間関係なんだと思います。

相変わらず難しい言い回しや単語も出てきますが、今回は、「忖度」と言う言葉が随所に出てきます。
この小説は2014年にすばるに掲載されていたようで、今2017年流行の「忖度」はこのころ流行っていません。
後に政治の世界で流行するところを見ると、先見の明があると言うか、言葉のチョイスは相変わらず優れてます。
「東京方眼図」「根が余りにもXXX」「遠国者」とか古っぽい表現を貫太は良くするが、その世界に「キュロット」「インチメート」とか横文字を入ってくると、途端に貫太が時代錯誤者のように見えてくる。
恐らく、この言葉の混ぜ方は意図的なんだろうけど、そうすることで緩急が付くというか、貫太がいかに落伍者と言うか取り残されている感じと言うのが良く伝わる。
そして、滑稽で面白い。
他の人は現代風の物言いをしているのに、貫太だけが昭和初期の文学青年のような物言いをしていて、それで会話が成立しているのも、何だかこれと同じような気がする。
要は、貫太は別世界の人なのかなとも思ってしまいました。
ゲスなところも相変わらずで、バイト先の女の子を「練習台」として品定めした挙句、失格の烙印を押したならば、優越感の目で馬鹿にするという最低さでした。

読む側としては貫太視点で話が進むので、貫太に寄った見方をしそうになりますが、やっぱり違うだろってなって踏みとどまってしまうくらい、酷いことをやっています。
それでいて、貫太弁護というか周りのせいでこうなったみたいな理由や心理描写が解説されるため、周りが悪いと納得させられそうになります。
この納得させられそうになるのが面白かったりします。

個人的に一番面白かったのは、後半の誰もいなくなった店内での悪行の限りでしょう。
ある理由で自暴自棄になった貫太が、店の商品を好き放題食べまくったり、同僚の女の洋服にやましいことをしようとします。
いつもよりも過激です。
落ちて行くところまで落ちて行く心地よさと、もう頑張らなくてもいいんだという気楽さ、悪いことを周りのせいで俺はこんなふうなことをせざる負えないんだと思いながらやってる感じは、何か誰にでも経験がありそうで、自分も身につまされました。


気になった方は、
やっぱり、芥川賞を獲った苦役列車から入るのがいいでしょう。
映画にもなったし。

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